ゼロから美容師シザーづくりを始めた創業者のブランドストーリー

キクイシザースは、和歌山で理美容ハサミを作り続けて、もうすぐ創業70年を迎える会社です。

創業者は菊井喜代次。
この記事を書いている僕、菊井健一の祖父です。

なぜ、祖父が理美容ハサミをつくり始めたのか…?
キクイシザース創業当時のエピソードをご紹介します。

戦時中、捕虜生活での”ある出来事”によってハサミの道に

祖父・喜代次は幼い頃から道具を自分で直したり弄ったりするのが好きでした。
中でも好きだったのが、刃物を研ぐこと。
包丁やナイフなど、自分で研いで使っていました。

時代は第二次世界大戦の真っ只中。
喜代次は派兵先で、アメリカ軍の捕虜となっていました。
アメリカ兵のあいだでもキヨジは研ぎがうまいと評判だったらしく、
「捕虜生活してた時も、ナイフを研いでやってアメリカ兵に喜んでもろたもんや」
そう自慢げに話す祖父の顔を覚えています。

そんなある日、
「キヨジ、これも研いでみてくれないか?」
そういってアメリカ兵が持ってきたのは、1丁のハサミでした。

いつものように研ぎだしたキヨジですが…
ハサミは他の刃物の要領で研いでも切れるようにはならない!
むしろ、どんどん切れなくなってしまう…。

ちょっとしたきっかけですが、これが後の喜代次の人生を大きく変える出来事となりました。

戦後、すぐに理美容ハサミ職人に弟子入り

戦争が終わり、無事に日本に戻った喜代次の心にはハサミの研ぎの経験が残っていました。

どうすればハサミは切れるようになるんだろう…?
どうせ作るなら、プロが使うハサミに挑戦してみよう!

意を決して、東京の理美容ハサミ職人のもとに弟子入り。その後、東京と大阪で5年間修行を積み、縁戚のいた和歌山で菊井鋏製作所を創業しました。

小さなハサミ工房がブランドとして知られたきっかけはコバルトシザー

当初は研ぎを中心に、ハサミは年に数丁作る程度。
職人気質の喜代次はお客さんとハサミの話をしていると喧嘩になってしまうような人間だったそうで、仕方なく妻・和子が販売に回るようになったと聞きます。

そんな和歌山の名も知られていない菊井鋏製作所が、ブランドとして知られるようになったきっかけが、世界で初めてのコバルトシザー開発です。

コバルトシザーはいまでもキクイシザースの代名詞となる存在ですが、
このハサミが多くの理容師・美容師に認められ、支持されるようになりました。
1973年の発売から40年以上を経て、2015年にはグッドデザイン賞を受賞するなど、いまでは産業・デザイン界でも認められる存在です。

オーダーメイドの取組やオンライン通販サイトの立ち上げ
それでも変わらない、ハサミ作りの基本

ひとりの青年の探究心から始まった会社が、今では8人の職人と全国のお客さまに支えていただいています。
僕たちも時代やお客さまとともに少しずつ技術を進歩させ、より良いものづくりを探究してきました。
それでも、ハサミ作りの根幹にある考え方は変わる事なく脈々と、職人から職人へと受け継がれています。

最近では全国からオーダーメイドのシザーのご依頼もいただき、海外の美容師さんからの注文も増え、工房直営のオンライン通販サイトを立ち上げるなど、お客さまとのつながり方は変わってきました。

それでも変わらないのが、
「良いものを作ったら、売れる」
という創業者・喜代次の強い思い。
僕たちはこれからもまっすぐに、「いいもの」と向き合うブランドであり続けたいと思います。

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